昼下がりの目覚め
海斗が目を覚ましたのは、鈍色のカーテンの隙間から差し込む光が、部屋の隅の埃までくっきりと浮かび上がらせる頃だった。枕元のスマホを手に取ると、もう午後一時を回っている。今日の三限と四限の講義は完全にさぼった形だ。大学生になってから、こんな風に講義を「スキップ」することが増えた。隣を見れば、彼女、あかりが寝ていたはずの場所は、すでに整えられている。そのわずかな痕跡が、彼女の朝の動きを物語っていた。
普段ならとっくに大学にいるはずの自分が、なぜか今日はベッドから動きたくなかった。昨日夜遅くまでレポートに追われていた、というのは半分言い訳で、ただひたすらに、この温かい布団から出たくなかったのだ。同棲を始めて一年。この部屋で過ごす時間は、彼にとって何よりも大切なものになっていた。
君の残り香
ゆっくりと体を起こし、リビングへ向かう。朝食の香りはもうとっくに消え、代わりに微かに残るあかりのシャンプーの匂いがした。彼女はいつも朝早く起きて、丁寧に髪を洗ってから大学へ行く。その几帳面さが、海斗のずぼらさを際立たせるようで、少しだけ気恥ずかしい。
テーブルの上には、書きかけの経済学のノートと、飲みかけのマグカップ。あかりが慌てて出て行ったのだろう。それを見て、海斗は少しだけ罪悪感を覚えた。自分は今、こうして何をしているのだろう。彼女は真面目に講義を受けているというのに。しかし、その罪悪感も、この静かな昼下がりの空気の中に溶けていくようだった。
キッチンへ行き、インスタントコーヒーを淹れる。湯気の立つマグカップを両手で包み込み、窓辺に立つ。十階の窓から見える街並みは、いつもよりずっと穏やかに見えた。まるで時間が止まっているかのように。この「さぼり」の瞬間が、彼にとってある種の休息であり、思考の時間でもあった。
未来への小さな波紋
大学生活もあと一年半。このままではいけない、と頭では分かっている。就職活動のこと、将来のこと。あかりとの関係も、この同棲生活も、いつか形を変えるのだろうか。そんな漠然とした不安が、時折海斗の心をかすめる。
でも、彼女といると、そんな不安も遠ざかる。隣に彼女がいるだけで、どんな困難も乗り越えられるような気がするのだ。彼女は海斗の良き理解者であり、時には厳しい目も向けるが、最終的にはいつも彼の味方でいてくれる。だからこそ、こんな風にさぼっている自分が、余計に情けなく思えるのかもしれない。
ソファに深く沈み込み、スマホをいじる。友人からのどうでもいい通知、大学のポータルサイトの更新情報。そのどれもが、今の海斗には遠い世界のことのように感じられた。彼はただ、この静かで、少しだけ甘やかな昼下がりの中に身を委ねていたかった。
予期せぬ訪問者
ピンポーン。
突然のチャイムの音に、海斗はびくりと肩を震わせた。こんな時間に訪ねてくる人などいないはずだ。友人なら事前に連絡をくれるだろうし、宅配便ならインターホン越しに名乗るはず。
訝しげにモニターを覗くと、そこに映っていたのは、まさかのあかりの顔だった。彼女は少し困ったような、それでいて呆れたような表情で立っている。「え、なんで?」海斗は慌てて玄関のドアを開けた。
「どうしたの、あかり?大学は?」 「講義、早く終わったの。先生が急用でって。それで、海斗がまだ家にいる気がして」彼女はそう言って、にこりと笑った。海斗の顔は一気に熱くなる。完全にバレている。 「ごめん、今日はちょっと、その、疲れちゃって…」 「ふふ、知ってたよ。コーヒーの匂いがするもん」あかりは玄関にリュックを置くと、海斗の淹れたばかりのコーヒーを一口飲む。「ん、美味しい。さぼりのご褒美?」
海斗はただ苦笑いをするしかなかった。彼女には、本当に敵わない。
静かなる誓い
あかりが隣に座ると、部屋の空気が一変した。今までぼんやりとしていた昼下がりが、鮮やかな色を取り戻す。彼女が持っていたスーパーの袋からは、夕食の材料らしきものが見えた。
「ねえ、海斗。たまにはいいけど、あんまりさぼっちゃダメだよ」あかりは優しい声で言った。「卒業できなくなっちゃうよ」 「分かってるって…でも、あかりが早く帰ってきてくれて、ちょっと嬉しい」海斗は素直な気持ちを口にした。
あかりはくすっと笑い、海斗の頭を優しく撫でた。「じゃあ、夕食の準備、手伝ってくれる?ご褒美のコーヒーのお返しに」 「もちろん!」
彼女の指先が触れた場所から、温かい電流が全身を駆け巡る。この温かさがある限り、きっと自分は大丈夫だ。この、さぼりたがる自分を、いつだって正しい道へと導いてくれる彼女がいる。
窓から差し込む陽光は、二人の姿を優しく包み込んでいた。これからは、もう少しだけ、真面目に。そんな小さな誓いを胸に、海斗は立ち上がった。あかりと二人で過ごす昼下がりは、彼にとって最高の充電の時間だった。
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